日本レコード大賞

「日本レコード大賞」は、TBSが放送する最も、権威がある音楽賞です。
1959年に創設され、現在も続いています。
「日本レコード大賞」は、毎年12月31日の19時から21時まで、千代田区丸の内の帝国劇場(1969年から)で、
行われました。(後に1985年から日本武道館)
また、2006年からは、12月30日に行われるようになりました。

視聴率は、1969年から1985年までは、30%を超え、最高視聴率は、1977年の50.8%でした。
1989年以降は、視聴率は、20%を割っています。

テレビは、1967年も観ていたかもしれませんが、1969年からは、観た記憶が鮮明にあります。
毎年、レコード大賞、最優秀新人賞は、誰がとるのか、楽しみにして観ていました。

☆「日本レコード大賞」の各賞について考察し、語りたいと思います。
当時から、おかしいと考えていた事です。

・歌唱賞
優れた歌唱によって活かされた作品に贈られる賞として定義され、文字通り歌手の歌唱力を評価したものである。
当時、歌唱力と何なんだと、多いに疑問がありました!!!!
歌唱力で、賞を獲るより、純粋に売れたか、作品性の良し悪しで、賞を決めるべきだと思っていました。

歌唱力をどういうふうに評価して、決めるのか、まったくわからないし、、
アイドルの歌唱力と演歌の歌唱力では、まったく違うと思う。
歌唱賞は、女性アイドルは、獲れなかったのは、解せない。
また、歌唱賞は、レコード大賞審査員が正統派歌手として認められないと獲れなかった
のも理解できない。

日本歌謡大賞の方の「放送音楽賞」の方が、実際、その年の代表した曲が選ばれていたので、
権威は、日本レコード大賞の「歌唱賞」の方があるが、「放送音楽賞」の方が
公平で、評価できると思っていた。

・大衆賞
第11回(1969年)から第19回(1977年)まで、大衆に支持された歌手や楽曲に与えられた賞だった。
当初は歌唱賞と同様に大賞候補としての位置付けだったが、
第17回(1975年)からは大賞候補の枠外の位置付けとなった。

この賞は、すごい売れたが、歌唱賞にふさわしいと思われない歌手に与えられることが多かった。
つまり、レコード大賞では、歌唱賞は、5名しかないし、歌唱賞は、まだあげたくないが。すごい活躍したので、
何らかの賞をあげたいという苦肉の策として用意した賞であった感じがします。
正当派歌手以外のアイドルや大衆演歌の歌手や俳優がとることが多かった。
歌唱賞の方が、大衆賞より格上と考えらていたが、大衆賞を獲った歌手の方が、歌唱賞をを獲った大部分の歌手
(一部を除く)よりセールス的に売れていることが多かったので、この賞も多いに疑問である。
また、第17回(1975年)からは大賞候補の枠外の位置付けになっており、これも、多いに疑問である。

ここで、主な年度の大衆賞を見てみましょう。

1970年「命預けます」 藤圭子「ドリフのズンドコ節」ザ・ドリフターズ
1971年「傷だらけの人生」鶴田浩二「さらば恋人」堺正章
1972年「子連れ狼」橋幸夫「ひとりじゃないの」天地真理
1973年「わたしの彼は左きき」麻丘めぐみ「ロマンス」ガロ「危険なふたり」沢田研二
1974年「二人でお酒を」梓みちよ「なみだの操」殿さまキングス「うそ」中条きよし「ひと夏の経験」山口百恵
1975年「十七の夏」桜田淳子
1976年「あなたがいたから僕がいた」郷ひろみ
1977年「ウォンテッド」ピンク・レディー

・金賞

1978年から採用された賞で、
大衆の強い支持を得て作品としても芸術性・独創性に優れ、その年度を反映したと認められた『作品』に贈られる。
これによっては、古いレコード体質の歌唱賞、大衆賞を廃止されたので、その点は、評価できる。
公平に、純粋に、売上(大衆の強い支持)やすぐれた作品に贈られるので、
アイドル、演歌、フォーク、正統派歌手などが同じ土俵で、戦えるようになった。


☆桜田淳子さんは、「日本レコード大賞」で、4回受賞しています。


・1973年(昭和48年)第15回 最優秀新人賞「わたしの青い鳥」




・1975年(昭和50年)第17回 大衆賞「十七の夏」




・1977年(昭和52年) 第19回 日本レコード大賞候補曲ベスト10「気まぐれヴィーナス」



・1978年(昭和53年) 第20回 金賞「しあわせ芝居」




1974年には、最優秀新人賞発表の時、前年の最優秀新人賞受賞者として出演しています。



☆歴代の受賞者です。

西暦   大賞受賞者(受賞曲) 最優秀歌唱賞 最優秀新人賞
1 1959年 水原弘(黒い花びら)
2 1960年 松尾和子、和田弘とマヒナスターズ(誰よりも君を愛す)
3 1961年 フランク永井(君恋し)
4 1962年 橋幸夫 吉永小百合(いつでも夢を)
5 1963年 梓みちよ(こんにちは赤ちゃん)
6 1964年 青山和子(愛と死をみつめて)
7 1965年 美空ひばり(柔)
8 1966年 橋幸夫(霧氷)
9 1967年 ジャッキー吉川とブルーコメッツ(ブルー・シャトウ)
10 1968年 黛ジュン(天使の誘惑)
11 1969年 佐良直美(いいじゃないの幸せならば) 森進一 ピーター
12 1970年 菅原洋一(今日でお別れ) ---  にしきのあきら
13 1971年 尾崎紀世彦(また逢う日まで) 森進一 小柳ルミ子
14 1972年 ちあきなおみ(喝采) 和田アキ子 麻丘めぐみ
15 1973年 五木ひろし(夜空) 由紀さおり 桜田淳子
16 1974年 森進一(襟裳岬) 五木ひろし 麻生よう子
17 1975年 布施明(シクラメンのかほり) 五木ひろし 細川たかし
18 1976年 都はるみ(北の宿から) 八代亜紀 内藤やす子
19 1977年 沢田研二(勝手にしやがれ) 八代亜紀 清水健太郎
20 1978年 ピンク・レディー(UFO) 沢田研二 渡辺真知子
21 1979年 ジュディ・オング(魅せられて) 小林幸子 桑江知子
22 1980年 八代亜紀(雨の慕情) 都はるみ 田原俊彦
23 1981年 寺尾聰(ルビーの指環) 岩崎宏美 近藤真彦
24 1982年 細川たかし(北酒場) 大橋純子 シブがき隊
25 1983年 細川たかし(矢切の渡し) 森昌子 THE GOOD-BYE
26 1984年 五木ひろし(長良川艶歌) 細川たかし 岡田有希子
27 1985年 中森明菜(ミ・アモーレ) 石川さゆり 中山美穂
28 1986年 中森明菜(DESIRE) 北島三郎 少年隊
29 1987年 近藤真彦(愚か者) 大月みやこ 立花理佐
30 1988年 光GENJI(パラダイス銀河) 島倉千代子 男闘呼組
31 1989年 Wink(淋しい熱帯魚) 石川さゆり マルシア

テレビは、1967年も観ていたかもしれませんが、1969年からは、観た記憶が鮮明にあります。
こうしてみると、24曲連続でオリコンシングルチャート(週間)1位を獲得
した松田聖子さんが、レコード大賞を獲れなったのは、演歌重視を否めませんし、
疑問が残ります。
1978年のピンク・レディーのレコード大賞受賞は、アイドルで獲れたことは、画期的でした。

☆歴代の司会者です。

       男性    女性
11 1969年 高橋圭三 (浅丘ルリ子)
12 1970年 高橋圭三 (佐良直美)
13 1971年 高橋圭三 山本陽子
14 1972年 高橋圭三 森光子
15 1973年 高橋圭三 森光子
16 1974年 高橋圭三 森光子
17 1975年 高橋圭三 森光子
18 1976年 高橋圭三 森光子
19 1977年 高橋圭三、久米宏 黒柳徹子
20 1978年 高橋圭三、久米宏 黒柳徹子
21 1979年 高橋圭三 檀ふみ
22 1980年 高橋圭三、渡辺謙太郎 中田喜子
23 1981年 高橋圭三、渡辺謙太郎 竹下景子
24 1982年 高橋圭三、児玉清 竹下景子
25 1983年 高橋圭三 竹下景子
26 1984年 森本毅郎 竹下景子
27 1985年 森本毅郎 倍賞美津子
28 1986年 森本毅郎 竹下景子
29 1987年 関口宏 三雲孝江
30 1988年 関口宏 三雲孝江
31 1989年 板東英二 楠田枝里子
32 1990年 板東英二 和田アキ子
33 1991年 布施明、石田純一 黒柳徹子
34 1992年 神田正輝 黒柳徹子
35 1993年 宮本亜門 牧瀬里穂
36 1994年 宮本亜門 牧瀬里穂
37 1995年 西田敏行、中山秀征 渡辺真理
38 1996年 堺正章 飯島直子
39 1997年 堺正章 草野満代
40 1998年 堺正章 江角マキコ
41 1999年 堺正章 黒木瞳
42 2000年 堺正章 黒木瞳
43 2001年 堺正章 米倉涼子
44 2002年 堺正章 菊川怜
45 2003年 堺正章 不在
46 2004年 堺正章 伊東美咲
47 2005年 堺正章 綾瀬はるか
48 2006年 堺正章 蛯原友里
49 2007年 堺正章 押切もえ
50 2008年 堺正章 上戸彩、松下奈緒
51 2009年 堺正章 藤原紀香
52 2010年 堺正章 藤原紀香
53 2011年 堺正章 藤原紀香
54 2012年 安住紳一郎 新垣結衣
55 2013年 安住紳一郎 上戸彩
56 2014年 安住紳一郎 仲間由紀恵
57 2015年 安住紳一郎 仲間由紀恵

私にとってレコード大賞の司会者は、高橋圭三さんです。
あの名調子は、忘れられません。



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